どうも寅治郎トライです。
「フランケンシュタインは怪物ではなく博士の名前なんだよ」と知識アピールするとウザがれます。
【フランケンシュタイン】
この本はメアリー・シェリーちゃんが18歳の頃に書いた小説です(JK作家だ!)。1818年の出版だそうです。そいでもって元祖ホラー小説、SF小説の古典とも言われているそうです。よく映画やアニメで、つぎはぎだらけで『フランケンシュタイン』と名乗る頭に釘が刺さっている大男のキャラクターが出て来ますが、その全ての起源がこの小説なのです。小説に寄れば『フランケンシュタイン』とは、大男を作り上げた科学者の名前で、大男は作中『怪物』とのみ表現されてます。映画化などされる過程で『フランケンシュタイが怪物の名前』と定着していったらすい。
【父殺しの物語】
物語は色んな読み方ができますが、一つは『父殺し』のテーマでも読めます。私は基本的に世の中の『父親殺し』事件の大体は、若年時代の『おらがおらが気質』の知性の低い衝動的暴発としか思っていません。知性がちゃんとあれば、自分は親やそれより上の先祖の恵みを利用させていただいて生きてることに自覚できるからです。利用させて貰って、おいしくさせても貰っているのに感謝もなく、何かで意見が合わないだけで殺害まで企てるのは、甘えた思想のように思うのです。知性があるなら殺人以外のことを閃くべき。まあ、こんなんが私の『父殺し』の基本認識です。しかし!子供に対して愛情をかけず、粗末な扱いをした父ならばその限りではありません。若い時代は暴力衝動や暴力憧憬も強いし、世の中にある他の選択肢を知り得ることも完璧にはできないので、愛情をかけられないような追い込まれ方をしたら若ければ若い程、悲劇に傾く可能性があるのかな、などと思います。子供を作っただけではダメで、愛情をかけてこそ。小説では科学者ヴィクター・フランケンシュタインは作った怪物に愛情をかけてやることがなく、他の人間達からも愛情をかけられることのなかった怪物は、ヴィクターへの復讐を企てます。
(グニャッ)
(ベチャッ)
【科学の物語】
小説では、生命の無かったモノに科学で生命を吹き込んで怪物を作った、という設定になっています。人間が科学で作り上げたものが、やがて暴走し人々を殺戮していきます。殺戮とまではいかなくても現代も人々は、新しいテクノロジーに翻弄されたりするものです。『人間の知で、人間の手で作り上げたハズのものが人間を攻撃し始める』今にも通ずる問題意識の端所が1818年に既にあったのでしょうなぁ。やはりここでも『作るだけではダメ』問題を読み取れます。何事も作っただけではいけませんよってことなのよ。
【見た目の物語】
怪物は短期間で言語や人間社会の情勢を理解できる程の優秀な知能を持っているにもかかわらず、見た目がエグいので嫌われます。故に人々から愛情を得るに至らず、そこに絶望し人々を殺します。そんな小説の一要素を現代を生きる我々が帰納するならば『見た目=愛情』とまで極端になってはいけませんが『見た目は愛情へ繋がる入り口にはなる』ってことでしょうかねぇ。現代社会では簡単な見た目なら向上させることはできるのですから、軽薄な読みではありますが『見た目を旨く機能させれば愛情にもつながる?』と思いました。人間は時に『中身だけしっかりしてればイイんだ!』と原理主義に陥ってしまいがちですが、原理を活かすためにも見た目にも気を使ってもいいかも。
【批評理論入門~『フランケンシュタイン』解剖講義~】
このような本も一緒に読むと、小説『フランケンシュタイン』の理解がより深まり、新たな発見が有るとか無いとか。
【了】
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