寅治郎トライのラジオブログ

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「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」読書感想文 vol.4

どうも寅治郎トライです。

村・K・春樹氏の次の著作は『電気羊をめぐる冒険』です。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
こちらはSF作家のフィリップ・K・ディックの1968年の小説になります。今更でしょうが映画『ブレードランナー』の原作としても知られている作品です。そして『ブレードランナー』はサイバーパンク映像美の元祖みたいな作品です。つまり現在のサイバーパンク的な価値観やアートビジュアルはまさにこの小説から始まったということになります。なので近年のポップカルチャー史などに強い影響を与えた重要作品だと思われます。

またSF作品にしてハードボイルド調のドンパチものと言えるこの小説は、ワザとらしい説明は控え目にすることで、作品にカッコよさと緊張感をもたらしています。その一方で、タイトルからして読者の見解が分かれたりもしているようです。そこを独自解釈してみます。




【電気羊の夢?】
アンドロイドと電気羊、一応双方、未来的な世界観を表現するキャラとして登場していますが、実内容ではアンドロイドと電気羊は直接対峙してのやり取りがありません。なのでタイトルで『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と言われると少し奇異に聞こえたりします。アンドロイドと電気羊は同じ物語には登場するも、絡んでるようで絡んでない、と思えてしまうからです。
 
ただし一箇所、タイトルと似た物言いが物語後半あるにはあります。リックが思慮を巡らすシーン『人間に仕えるばかりのアンドロイドは雇われの無い身分を夢見たりするのか?雇われじゃないもっといい暮らしを夢見るのか?』と思索に耽るのです。もちろん明確な答えを出すなどではなく、リック自身が瞬間的にそう思った程度で。しかしその場面でも『電気羊の夢』とは言っていない。

そんなリックの取止めもない思慮に、更に物語冒頭で示されたリックの志向『今は電気羊を飼っているが、実は人口物の電気羊を快く思っていない。本物の生物に飼うことに憧れている』を足しつつ、更に小説の設定『人間とアンドロイドの境界の薄すくなった世界』を総合すると、この小説のタイトルは、

「アンドロイドは、電気羊のような人口物で何かの代替物として決定づけられた生き方を夢見るのだろうか?いや、アンドロイドだってひょっとしたら人間が望むように、感性が開放されたような生き方を憧れとして夢見たりもするのかも?境界の薄くなった世界だしね」

みたいな意味なのではないかと、私は夢見ています。

【了】



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