どうも寅治郎トライです。
散る桜、残る桜も、チル桜。
【桜の樹の下には】
こちらは作家・梶井基次郎さんの短編小説になります。『桜の樹の下には』の後には『屍体が埋まっている』という下の句が続くのをどこかで聞いたことがある人もいるかもしれません。そのフレーズの起源がこの小説だそうです。『桜』という美しさの象徴のようなモノに『屍体』というちょっと怖い言葉を絡めているため、奇怪な印象を人々に与えるようで『桜の樹の下には屍体が埋まっている』というフレーズが、そのまま都市伝説にもなってしまってるなんて話も聞いたりします。とまあ作者の意図通りだったかはわかりませんが、後世の人々にそれなりに浸透している側面を考慮すると、普遍的な文芸力のある一文ということになるのかもしれません。
【勝手読後感】
『桜の樹の下には屍体が埋まっている』というフレーズを「キレイな物事の裏では何かしらが搾取されていて、それでキレイが成り立っているのだ」という内容の比喩ではないか、と思うのは自然かと思います。しかし小説を通読すると、私はちょっと違う印象を受けました。小説は全編通して、おどろおどろしい描写や不穏なイメージを想起させる言葉に満ち満ちているからです。『他者を搾取しているからキレイが成立』などのメッセージを込めるというよりは、ただひたすら呪いの言葉を発するような物言いの連続。
【梶井基次郎と病気】
梶井さんは幼い頃から結核を患っていたと言われております。結核はかつては死にもつながる不治の病と恐れられていた病。幼い頃から体調のいい時でも病気の恐怖などを悩まされていたのかもしれない。そういう心中の人が、美しい『桜』を見て素直に美しいと思えない時もあるのではないか。一説には他の梶井作品である『檸檬』に描写されている『不安』は病気のことを言っているという解釈もあるそうです。つまり病気の影響が梶井作品に反映されている可能性があるということ。
【勝手分析】
翻って『桜の樹の下には』に見られる呪詛の言葉達は、恐らく『他者を搾取しているからキレイが成立』などという物事の多様な視点を啓蒙する文化的なメッセージなどではなく、病気への不安か死への不安に対する補償行為なのではないでしょうか。小説本編では主人公と他者のやりとりなどはなくとても内省的です。病気の不安はそもそも真の意味では他者と共有することはできません。また、梶井さん自体若かったこともあり病気の不安に、若い時代特有の過激な想像力と妄想力を頼りに、負の言葉を綴ることで孤独に抵抗したんではないかと私は思うのです。その記録が『桜の樹の下には』だったりするんじゃないですかね。
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