寅治郎トライのラジオブログ

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村上春樹「午後の最後の芝生」読書感想文

どうも寅治郎トライです。

読書感想文のお時間です。やれやれ。

【午後の最後の芝生】
こちらは作家・村上春樹さんによる著作で『中国行きのスロウ・ボート』というタイトルの短編集の中に収められた小説です。この小説は、キャラの核心を湿っぽい自分語りで表現しない系の作品ですので以下、考察的独善解釈でのあらすじです!ネタバレ有り!

【勝手解釈的あらすじ】
14、15年という歳月に何かしらの感慨を持ち、思考を巡らす男が主人公。(主人公は16歳で父親を亡くしたので、16歳には精神的自立を促される出来事に遭遇したことになる。子供気分でいられたのは約15年間。拘りの歳月14、15年間に符号する?)男は作家業をやっているようで、自分の小説のスタイルやフォームを掴みきってはおらず、色々悩んでいるらしい。

そんな男が、14、15年前の最後の芝刈りのアルバイトでの出来事を回想する。アルバイトの依頼は、旦那と娘を失った女によるもので、主人公は女の家を訪れ、丁寧に作業をこなす。かつて旦那も丁寧に芝刈りをする人だっためか、主人公の丁寧な芝刈りに女は感情が刺激されて、家族で暮らしていた頃を思い出し、主人公に家の中で休んでいくように促す。



家の中で女は、今では主を持たない娘の部屋に案内し主人公に娘の私物を見せ、娘をどんな人物に思うか尋ねる。女は他人から語られる言葉で娘の存在か、あるいは自分自身を改めて確認したかったのかもしれない。娘の部屋と私物から、最初主人公は娘をそれっぽく想像できていたが、途中から娘のイメージと自分の別れた恋人とを混同して混乱してしまう。

主人公はアルバイト帰りのドライブインで仮眠を取り、その日の出来事を虚ろに振り返り、自分の存在に対して何かしらの悟りか、納得のようなモノを得る。それは、自分と他者との人間関係のことへの悟りのようでもあり、未来の自分が作家業での悩みを突破するための納得のようにも読める。その辺りの時系列や、実は娘の部屋でのやり取りすらもハッキリしない、そんな物語。

【雑感】
自分が思いを寄せる故人がかつて存在していた場所などに行ってみたりすると不思議な感慨を得たりすることがあります。「あの人はここで~してんたんだぁ」的なやつです。私自身現在、先祖が所有していた土地の芝刈・草刈をやっていたりしています。土地の草木を管理しつつ、かつて先祖が眺めた同じ景色を眺めて、時間の経過に思いを馳せたりしています。こういう心の動きに呼び名があるかはわかりませんが、迂回的な喪失感の確認とでも言いましょうか。『午後の最後の芝生』はそのようなものが漂っている小説だと思いました。

また私がやっている草木管理の一環でも芝刈機を使ったりしますが、その時の作業への没入感は、ちょっとした無我の境地のようなモノで、心の遊びにもなっています。このよう個人的経験もあったので『芝刈り』を介して人の感情が動くこの小説に私はシンパシーを感じております。

【了】


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