どうも寅治郎トライです。
エロティック読書感想文だーッ!
【ロリータ桃色日記】
こちらは作家・吉野純雄さんによる官能小説です。1989年の出版です。ネットで軽く調べて見ますと、吉野純雄さんはロリータ設定の小説を得意にしている方で、こちらの『ロリータ桃色日記』はキャリアの中でも初期の頃に書かれた作品になっております。吉野純雄さんは作家としては2007年に断筆されたそうな。
【出会い】
私が中学生だった頃友達の家に遊びに行き、友達から「エロいの読む?」と言われてこの『ロリータ桃色日記』を借りたか貰ったかした記憶があります。確か元は友達のお兄さんのだったかな?人生で初めて読んだ官能小説だったし、内容的にも感応する所があったので個人的なポルノグラフィーの原体験トラウマの一つとして、今でも所有しております。
「ということは貴様はロリコンだなッ!シッポ出したな!通報してやるッ!」という声が聞こえきそうですがお待ちください。実は私にはロリコン癖はありません、なので通報しないで下さい。ではどうして『ロリータ桃色日記』を有り難がっているのかというと、小説の序盤に美人教師がDT中学生に性の手ほどきを与えるシーンがあり、そこにDT中学生の私はエレクトしてしまい、感情移入してしまったのです。それ以来、特に思春期の間はそういう設定が自分の中での最高のエロスとして、心に焼き付いてしまったのです。
【通過儀礼とエロス】
ストーリー全体を見れば、私がエレクトしたシーンは脇役達のモブエピソードに過ぎず、小説終盤に向けて話はロリータ中心に展開していきます。そういう展開はロリータものに強いことを売りにしている作家ですから当たり前なのですが、私は作家の意図しない所に過剰な感心を持ったわけです。私自身はイケイケドンドンの人間ではなく、モジついた中学生だっためそうなったようにも思います。またそのエピソードの描写は『通過儀礼としての性の手ほどき』というテイストを織り交ぜた風に書かれていたため、中学生的な「これからちゃんとした大人にならなきゃな(実際はなってない)」的な心情が通過儀礼設定を真に受けて、私の中のエロスを呼び起こしたのかもしれないと分析しております。
【90年代の考察】
今現在『ロリコン』はちょっとヤバめのワードになりましたね。私の記憶では90年代頃までは『ロリコン』にそこまで深刻なニュアンスは無く、おふざけワードのような感覚でメディアで使われていたような気がします。対して『ショタコン』なんて言葉もあります。実は偶然手に入った93年の女性誌に『ショタコン』の特集記事があるのを見つけました。しかも泡沫記事のような感じではなく、その雑誌の中でもかなり前半に載っています。特に評論などはありませんが時代の記録として紹介しておきます。90年代の感覚はこんな感じだったんだなぁ、ということで。
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それにしても、
後に皇后陛下になる人とショタコン記事が同じ雑誌に載るとは、
アメリカよ、これが表現の自由だッ!
【了】
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