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「柔道」と「ブラジリアン柔術 」その起源の研究

どうも寅治郎トライです。

今日は柔道とブラジリアン柔術の成り立ちについてまとめていきたいと思います。以下が参考資料です。

ブラジリアン柔術入門】
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グレイシー一族に柔術を教えた男~不敗の格闘王 前田光世伝~】
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【柔道の起源と黎明期】
柔道の始祖と呼ばれる嘉納治五郎氏。嘉納治五郎氏は柔道発足以前、古流柔術起倒流柔術や真楊流柔術などをやっていた。嘉納氏が古流柔術を学んだ後、自身の『寝技嫌いの立ち技志向』の精神の元、古流柔術各派の投げ技を中心にまとめ、整理統合して作り上げたのが「講道館柔道」。

柔道黎明期には講堂館柔道vs古流柔術などの対抗戦がよくあり、その当時の柔道周りの柔術勢は寝技が得意だっため、立ち技路線の講道館柔道側でも、柔術対策として寝技の研究が進む。その時代の講道館柔道内の寝技研究勢力が高専柔道の理論的前身になったらしい。

ちなみに嘉納治五郎氏が作った柔道と、今我々が世界選手権やオリンピックで見るJUDOはちょっと違っている。両者を比べると、嘉納時代の柔道は今のJUDOと比べると、寝技の攻防がより長く、投げ技の一本の基準も厳しかった模様。立ち技路線として作った嘉納氏の柔道よりも今のJUDOの方が、より立ち技路線が先鋭化していると言える。つまり現代のJUDOは、オリンピックナイズされた故の形態なのだ。

前田光世ブラジリアン柔術勃興】
1914年、前田光世という柔道家が渡伯してガスタオン・グレイシー(ヒクソンの祖父)と親しくなり、そのガスタオンから「ヤンチャな息子達に柔道を教えて欲しい」と頼まれて、長男カーロスや五男エリオ(ヒクソンの父親)などに柔道を教えた。前田氏がヒクソン家の子供達に教えた柔道がその後、ブラジル内で独自の発展を遂げて、ブラジリアン柔術になる。中でもエリオはブラジリアン柔術発展の中心人物となり、ブラジリアン柔術の始祖的立場になった。エリオは息子のヒクソンやホイスにもブラジリアン柔術を教えて、90年代、00年代に日本でも広く伝わるようになる。

【なぜ寝技路線?】
しかし現代の柔道脳で見てしまうと『柔道を教えたはずが何故、ブラジリアン柔術は寝技を重視したスタイルになってしまったのか?』という疑問が湧きます。正確な話かはわからないのですが、資料や伝聞から推察するに、ブラジルという土地は元々ストリートファイトが盛んな地でもあった。なので『ただの一度上手く投げ技が決まっただけで勝負が終わり』って感覚が馴染まず、寝技で締めるか関節取るかで、相手が明確にタップし負けを認めさすのを好んだ説ってのがあるそうです。

また前田光世氏が渡伯したのが1914年。柔道が五輪競技になったのが1964年。つまり前田氏はオリンピックナイズされる以前の、寝技もありありの柔道をグレイシー家の子供達に教えていたことになる。

更に前田氏はそれまで海外で何度も柔道家として異種格闘技戦をやっていて、その手の異種格闘技戦ではルール的に投げ技で一本勝ちってのは少なくて、寝技で締め技か関節技を決めることが多く、海外時代の前田の柔道は寝技偏重の傾向があったとも思われます。そんな感じもあって寝技的な柔道がグレイシー兄弟に伝わった?とも推測できるかと思います。

その他、高専柔道の寝技とブラジリアン柔術の寝技は似てるという証言もあり、前田光世氏のように歴史に光が当たったケース以外にも、オリンピックナイズされる前の柔道や高専柔道の教養をもった人が渡伯し、指導する立場にあったという説もあるようです。

1951年の木村正彦vsエリオ・グレイシーの映像を見ると、俗に言うブラジリア柔術風のルールのように見える。

【NOTICE!】
上記の文章は、資料と伝聞と多少の推測を交えて書かれています。また今現在の自分なりの認識の整理として書いた側面もあり、遠い昔はるか彼方の外国の地の話しも含むので、史実の正確さを完全完璧に保証するものではございません。どうか生温~い視点で読んであげて下さい♥

【了】


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